【第7話】再会

夜の帳の中を桐島はバカみたいに自転車をとばしていた。僕はまるで恋人みたいに自転車の後ろで桐島の背中にしがみついていた。

 夜風が吹き抜けていく。

 夜空には真珠色の星たちが輝いていた。

 まだ少年だった頃、眠る街の中をこうして自転車に二人乗りして走った事を思い出した。尾崎豊の歌じゃないけど盗んだバイクではなく盗んだ自転車で。夜空に輝く星を見つめながら明るい未来を思い描いていた。どんな夢も叶うと信じて疑わなかった。

 「照男は大きくなったらこの病院を継ぐのよ」

 と母から呪文の様に言われて育った僕は、何の疑いもなく三代続く片岡医院を継ぐものだと思っていたが、中学生になると将来はモデルになりたい、と、思う様になった。切っ掛けは単純だった。死ぬほど女の子にモテたし、親は別として周囲から「背が高いしイケメンだから医者よりモデルなれば」と言われ、原宿でスカウトもされた。一番の決め手は、僕とすれ違いざまに女の子が何人振り向くかとう賭けをして、自分の予想以上に女の子が振り向いた事だった。

 「薄毛……」

 僕は夜風になびく桐島の乏しい髪を見ながら呟いた。

 どんなに顔が良くても、背が高くても、センスがよくても、女の子にモテても、薄毛が全てをぶち壊してしまった。頭頂部のわずか直径7センチがモデルになる夢を奪ったのだった。

 「なぁ何処に行くんだ。こんな時間に開いている店なんてないだろう?」

 僕は自転車を漕ぐ桐島の背中に言った。

 「夜中の2時から開く店があるんだ。もう少しで着くよ」

 桐島が言った。

 僕の家から自転車で20分は走っただろうか。自転車は東急池上線T駅近くの商店街を抜けて、大人3人が並んで通れる程の路地に入った。アーチ型の看板に『飲んだくれ横丁』と書いてあった。そこは飲み屋が軒を並べ、路上で男が酔いつぶれ、倒れたゴミ箱からゴミが散乱し、饐えた臭いが漂っていた。

 「ここだよ」

 蔦の絡まる小さな店の前で桐島が自転車を止めた。

 「看板ないけど店なのか?」

 「隠れ家的な店なんだ。常連しか来ないよ」

 桐島は重厚な木の扉を開けた。

 ドアベルが鳴って店内に入るとジャズと酒と煙草のにおいが出迎えてくれた。薄暗く縦に長い店内には、カウンター席とテーブルが4つ、コンクリートが剥き出しの壁にはダリの絵が飾られていた。テーブル席は全てうまっていて、カウンター席だけ空いていた。カウンターに女の人が一人立っていて桐島を見るなり笑顔で「いらっしゃいまし」と言った。桐島がこの店の常連客だということがわかった。

 「今日は珍しい客を連れてきたよ」

 桐島が言った。

 「まぁ本当だ」

 女が言った。

 僕と桐島はカウンターに座った。

 カウンターの灯りの下で女は僕をジッと見つめていた。女の肩まである髪は毛先にゆるくパーマがかけられ、長い睫毛は明らかにつけ睫毛で巧みに描いたアイラインが目を大きく見せていた。真っ赤な唇は天ぷらを食ったみたいにテカテカしていて、一生懸命メークしました、と、いう顔をしていた。

 

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 「とりあえずビールでいいか?」

 桐島が言った。

 「ああっビールで」

 「かしこまり。私、小夜子、宜しくね」

 小夜子はそう言って僕の顔をまじまじと見た。僕はさっきから彼女にジッと見られ不愉快だった。

 「あれ、ママは?」

 桐島が言った。小夜子はビールを注ぎながら

 「ママ、痔の手術で入院したの。私、一人で店まわしているから大変よ。もうやってられない」

 と言った。

 「痔かぁ、手術痛いらしいな。よし大学、夏休みに入ったから、たまに手伝いに来るよ」

 「助かる。でも当然よね。昔、あんたのパシリしていたんだから」

 「パシリ?」

 僕が言った。

 「ねぇわからない?」

 小夜子は僕を見つめた。

 「俺だよ、俺」

 「……」

 「もう、やってられねぇ」

 小夜子はそう言って自分の髪を鷲掴みにして上に持ち上げた。なんと地毛だと思っていた髪はカツラだった。しかも桐島に負けず劣らず額がM字にどんどん薄くなっていく、M字型の薄毛だった。

 「えっ金子?」

 僕は思わず手に持っていたグラスを落としそうになった。

 「早く気づけよ。もう、やってられねぇ」

 赤いワンピースを着た小夜子は、まぎれもなく高校の同級生、金子だった。