【第8話】快楽

 「本当に金子?」

 僕が言った。

 「金子、金子」

 「外見がまるっきり変わったけど、その口癖、金子だ。いやぁ久しぶり、まさかこんな所で会うなんて……」

 僕の驚き様に桐島は手を叩いて笑った。

 「まぁ積る話もあるでしょうから、お二人でごゆっくり」

 桐島はそう言ってテーブル席に移動した。テーブル席では3人の男が盛り上がっていた。桐島はその男達と顔見知りなかのか、ごく普通に輪の中に入っていった。

 「驚いたでしょう」

 金子である小夜子が言った。

 「驚いたってもんじゃないよ」

 僕は手の汗をおしぼりで拭いた。

 「もう本当に久しぶりなんだから」

 小夜子はそう言って僕の手を握った。僕は混乱した。僕の目の前に居るのは、赤いワンピースを着た小夜子ではあるけど、高校時代僕達の使い走をして、グループの底辺で縮こまっていた、あの金子なのだから。金子がこんな風になるなんて誰が想像できただろう。いや自分だって薄毛になったのだから、お互い様かもしれない。人生、何が起こるかわからない、と、つくづく思った。

 女の服装をしているけど高校の同級生だった金子に、ずっと手を握られているは気分の良いものではなかった。僕は手を振り払った。

 「あら、ごめんなさいね。いつまで手を握っちゃって」

 「それにしても、どうして女になっちゃったの?」

 「話せば長くなるんだけど……。私もビール頂いていいかしら」

 小夜子はグラスを取り出した。僕はビールを注いでやった。グラスに琥珀色がみるみる満ちてメレンゲの様な泡がグラスの淵で盛り上がり、その泡が落ちつくのを見届けて小夜子はビールを一気に飲んだ。

 「私ね、自分の体に違和感を覚えたのは中学生の頃、ヒゲが生えてきて声変わりして体が男らしくなっていく事に恐怖すら感じた。それに男の子ばっかり目がいく様になって……。高校の時、ある人を凄く好きになったの。それで確信したの。私はやっぱり女じゃなくて男が好きだって」

 「もしかして桐島?」

 「ひ、み、つ」

 僕は飲んでいたビールを吹き出しそうになった。いや全く興味ないから、と、心の中で叫んだ。

 「桐島はいつからこの店に?」

 「一年くらい前かしら。ねぇ、この店に来るお客さんの共通点わかる?」

 僕は店内を見渡した。

 客はすべて男だった。場末のスナックにしては年齢層が若い。共通点は若いって事か……。

 「あのね共通点は若いのに薄毛。まぁハゲている方もいらっしゃるけど」

 小夜子は僕の答えを待たずに言った。

 「そうなんだ……」

 「この店のママも若い頃、薄毛になってね、一人で思い悩んだ経験から薄毛で悩む若者達が集まって悩みを語れる店を開いたの。薄毛の隠れ家ってとこかしら。桐島もそんな客の一人で、私と桐島はこの店で再会したってわけ。私は客から店のスタッフにしてもらったの。ああっママも昔は男よ。私と違って凄い美人だし、昔男だったなんて全くわからないわ」

 「そうだったんだ……。あっ、もしかして隠れ家だから看板ないの?」

 「そうよ。この店はママの若き薄毛の悩みっていうブログを見て集まった人達、お店のホームページも広告も無ければ電話帳にも載ってない。ああっ照男みたいに薄毛のお友達を店に連れて来るパターンもあるけどね」

 薄毛のお友達か……。その言葉が胸にグサッときた。僕はビールを一気に空けた。ビールのほろ苦さが口に広がる。酒は得意ではなかったが飲まずにはいられなかった。二杯目をおかわりして、それも一気に飲んだ。

 「もう一杯」

 「大丈夫? 顔が真っ赤よ」

 「大丈夫、大丈夫」

 小夜子は三杯目のビールを注いだ。

 

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 愉快な気分だ。体が熱くてフワフワする。小夜子が美人に見える。わけもなく愉快だ。僕はカウンターに頬をつける。大理石が冷たくて気持ち良い。耳元で天使が囁いている。いや小夜子の声だ。小夜子が僕の薄くなった頭頂部を優しく撫でる。同じ薄毛だから気にならない。身も心もほぐされていく。今まで味わった事がない感覚だ。酒がこんなにも気持ち良くさせてくれるなんて……。20歳にして酒の味を覚えた。

 僕はその日から店に通うようになった。